著者は「週刊現代」、「フライデー」元編集長。プロではないが、プロの周辺で競馬にかかわってきた人だ。
昭和49年から50年にかけて、週刊現代に連載された直木賞作家、山口瞳氏の「競馬真剣勝負」の担当編集者だった人で、そのときの逸話が興味深い。
第一回のゲスト(対戦相手)は宮城昌康氏、二回目が大川慶次郎氏、以後、寺山修司、大橋巨泉、古井由吉、古山高麗雄、米長邦雄氏と続いたようだ。
1回目のゲストが競馬の神様、大川慶次郎氏ではなく、天才、宮城昌康氏であったことに注目したい。
「当時の競馬界では三大予想家として名が通っていた人たちがいた。一人は大川慶次郎氏、もう一人は大橋巨泉氏、そしてもう一人が宮城昌康さんだった。宮城さんは「競馬ブック」に所属の後に、宮城情報センターという、日本で初めてだと思われる電話で予想を売る会社を設立した。予想スタイルは「穴の宮城」と称された通り、穴狙い。宮城さんもこの申し出に快く応じてくれた」これは著者の記述。
山口氏の宮城評も紹介されている。
「最後に『競馬ブック』の『宮城のビクトリーコーナー』を切り抜いて、『ダービーニュース』に貼りつける。私は宮城昌康さんは天才的な予想屋だと思っている。特に彼の推奨馬を他の評論家が無印にしているときは、私においては絶対の『買い』である」
この当時、私もすでに競馬を始めていたが、私のこの三人に対する印象は著者と若干違う。
大川氏が予想界の体制派だとすれば、巨泉氏はチャレンジャー。宮城氏は実践派の予想屋といったところか。大川氏と巨泉氏が何冊も本を書いていたのに対し、宮城氏は1冊しか書いていないと思う(大川氏と宮城氏が仲が良かったかどうかは知らないが、巨泉氏と宮城氏は仲が良かったはずだ-これは余談)。
それにしても、当時の三大予想家の一人はその職を全うし、もう一人は早々と競馬に見切りをつけてリタイアし、もう一人は野たれ死んだ。諸行無常。
最後に、著者が選んだ思い出に残る10頭。
リュウズキ 比類なき美しさ
シンザン 最初に見たダービー馬
タケシバオー レースを選ばず
アローエクスプレス 血統という摩訶不思議なもの
ヒカルイマイ 豪脚
ハイセイコー アイドル
カブラヤオー ダービー逃げ切り勝ち
トウショウボーイ 天馬
マルゼンスキー 史上最強馬
オグリキャップ この瞬間を見るために競馬をやってきた有馬記念