クロフネとスマートファルコンはどちらが強いか?
なんて議論で最近は盛り上がっていますが、
ダート路線の競走体系が整備されてからの日はまだ浅く、
非凡なダート適正を持ちながらも適鞍が無いばかりに、
歴史の闇へと消えて行った馬は多数存在していると思います。
1969年東京ダート1700mのオープンで
斤量60kgを背負って1:41.9の驚異のレコードタイムを叩き出した
タケシバオーもその1頭でしょう。
そんな中で私が取り上げたいのはカミノクレッセ
カミノクレッセと言えば、1992年の天皇賞(春)、安田記念、宝塚記念という
カテゴリーの異なるG1での3戦連続2着が有名な名脇役というイメージですが、
実はこの馬、本格化後のダートでは底を見せていないんです。
カミノクレッセは旧4歳の2月にデビューして、
旧5歳の春まではダートの条件戦で勝ったり負けたりを
繰り返していましたが、夏になって急成長。
札幌ダート1700mの準オープンを快勝すると、
芝の札幌記念でメジロパーマーの3着と好走。
その後、札幌ダート1700mのオープン特別で、
同年のフェブラリーH勝ち馬ナリタハヤブサを破り勝利。
続く函館ダート1700mのオープン特別では2着馬を1.1秒突き放しての圧勝劇。
そして極めつけは、次走のブリーダーズゴールドカップ(札幌ダート2400m)
上記動画の3レース目です。
当時の岩手最強馬スイフトセイダイを、札幌の短い直線だけで2.1秒突き放す圧勝劇。
レースを重ねる度にどんどんパフォーマンスが上がっており、
この馬はいったいどこまで強くなるんだ、という妄想を掻きたてられます。
しかし、カミノクレッセは次走の天皇賞(秋)で3着(4位入線)し、
当時のダート戦はハンデ戦中心で斤量を背負わされること、
そして芝での目処が立ったことから、
その後、一度もダートを走ることはありませんでした。
ここまで書いておきながら、カミノクレッセの現役時代は全く知らないのですが、
現在のようなダート路線が整備されていれば、芝を走ることの無かった馬かもしれません。
こういった隠れたダートの名馬が当時まだまだ存在していたのかと思うと、
クロフネとスマートファルコンのダート最強馬論争は、
いささか視野が小さいのかなとも思ってしまうのです。
なんて議論で最近は盛り上がっていますが、
ダート路線の競走体系が整備されてからの日はまだ浅く、
非凡なダート適正を持ちながらも適鞍が無いばかりに、
歴史の闇へと消えて行った馬は多数存在していると思います。
1969年東京ダート1700mのオープンで
斤量60kgを背負って1:41.9の驚異のレコードタイムを叩き出した
タケシバオーもその1頭でしょう。
そんな中で私が取り上げたいのはカミノクレッセ
カミノクレッセと言えば、1992年の天皇賞(春)、安田記念、宝塚記念という
カテゴリーの異なるG1での3戦連続2着が有名な名脇役というイメージですが、
実はこの馬、本格化後のダートでは底を見せていないんです。
カミノクレッセは旧4歳の2月にデビューして、
旧5歳の春まではダートの条件戦で勝ったり負けたりを
繰り返していましたが、夏になって急成長。
札幌ダート1700mの準オープンを快勝すると、
芝の札幌記念でメジロパーマーの3着と好走。
その後、札幌ダート1700mのオープン特別で、
同年のフェブラリーH勝ち馬ナリタハヤブサを破り勝利。
続く函館ダート1700mのオープン特別では2着馬を1.1秒突き放しての圧勝劇。
そして極めつけは、次走のブリーダーズゴールドカップ(札幌ダート2400m)
上記動画の3レース目です。
当時の岩手最強馬スイフトセイダイを、札幌の短い直線だけで2.1秒突き放す圧勝劇。
レースを重ねる度にどんどんパフォーマンスが上がっており、
この馬はいったいどこまで強くなるんだ、という妄想を掻きたてられます。
しかし、カミノクレッセは次走の天皇賞(秋)で3着(4位入線)し、
当時のダート戦はハンデ戦中心で斤量を背負わされること、
そして芝での目処が立ったことから、
その後、一度もダートを走ることはありませんでした。
ここまで書いておきながら、カミノクレッセの現役時代は全く知らないのですが、
現在のようなダート路線が整備されていれば、芝を走ることの無かった馬かもしれません。
こういった隠れたダートの名馬が当時まだまだ存在していたのかと思うと、
クロフネとスマートファルコンのダート最強馬論争は、
いささか視野が小さいのかなとも思ってしまうのです。