その2 ケルト人とは誰か
ケルト人について、簡単にまとめようと思ったのだが、これが諸説粉粉でなかなか難しい。
その2では簡単な要約。その3ではWikipedia「ブリテンの先史時代」の記述に沿って、紀元前2600年ころブリテン島に到達したビーカー人(ケルト人)について紹介することにする。
01「ケルト人」とは、ケルト民族が自らを呼んだ名前ではない。
02「ケルト人」という名称は、前5世紀のギリシア人が、アルプス以北に住むバルバロイ=「異言語・異文化集団」を総称して「ケルトイ」と呼んだ言葉に由来する。
「ケルト」とは、古代地中海世界にとっての「他者」の総称でしかなかった
03「ケルト人」という語が初めて文献に現れるのは、ギリシアのヘカタイオス(前548~475年頃)による地図で、そこでは、アルプスの向こう側、現在のフランスあたりにCeltae の文字が読み取れる。
04 従来の定説1 ケルト人は、青銅器時代の末期に中央ヨーロッパのボヘミアのあたりに誕生した。
05 従来の定説2 その後、オーストリア・アルプスを中心に「ハルシュタット文化」(前700~500年)と呼ばれるヨーロッパの第一鉄器時代の担い手、つまり、ヨーロッパで初めて鉄器を用いた民族として繁栄した。
06 従来の定説3 やがてフランス(ローマ名ガリア)に浸透して、「ラ・テーヌ文化」((前400年~西暦100年)の担い手となり、最盛期の前400年~300年の間にはアルプスを越えて、ローマやデルポイを脅かした剛勇の民だと言われてきた。
07 科学的・客観的になされうる「ケルト人」の定義とは、インド=ヨーロッパ語族のうち「ケルト語派」を話す人々ということになる。
08「ケルト語族」は 大きく「ブリテン語」(Pケルト語)と「ゲール語」(Qケルト語)に分かれるという説である。
09 現在残っている「ケルト語派」の諸語は、Pケルト語のウェールズ語、コーンウォール語、ブルトン語、Qケルト語のアイルランド語、スコットランド・ゲール語、マン島語である。
10 これでもわかるように、前1世紀のローマによるヨーロッパ征服の結果、ケルト語文化の伝統を残すのはブリテン諸島とフランスのブルターニュ半島といった、ヨーロッパの西の辺境地帯がほとんどになってしまった。
11 現在のヨーロッパの地名から、ケルト人の居住地域をおおよそ知ることが可能である。それは、西はイベリア半島・ブリテン諸島、北はドナウ河流域、西はカルパチア山脈、そして南は北イタリアまでを含む大規模な地域であった。
(田中美穂 『「島のケルト」再考』(史学雑誌 111編10号、56~78頁)より要約)
そして、私が思わずドキッとしたのが次の記述である。
「当時の著述家は、ケルト語で彼らの居住地を「ヘルシニア(オークの木)の森」と呼んでいたという。オークの木は、通常「樫」と訳されるが、むしろ柏の木に似た葉を持つ落葉樹であり、これも、著述家たちの証言から、ケルト民族の宗教とされる「ドルイド教」の神木である。」
レース名としての「オークス」は、ダービー卿の領地の名前に由来するということなのだが...。