9月6日号の競馬ブック、小倉2歳Sのページの大見出しはこうだった。
「秋の到来を告げるパガニーニの鐘 スピード抜群メイショウヘミング」
無学な私には、わからなかった。
パガニーニ=作曲家 ヘミング=フジコ・ヘミング?
くらいまでは思いついたのだが...。
そこで調べてみた。
パガニーニの「鐘(ラカンパネラ)」という曲があり、フジコ・ヘミング氏はこの曲を十八番にしているのだという。
なるほど。
ついでにラカンパネラもどこかで聞いたことがあると思って調べてみれば、2000年頃の未勝利馬に、そういう名前の馬がたしかにいた。
そのときに学んでおけば、今回のこの応用問題も解けたことだろう。
思うに、競馬というのは本当に勉強になる。
馬名・レース名から、語学、地名、誕生石、季節の植物など様々なことを学ぶことができる。
教育ママ・パパが増える昨今、お子様の情操教育に競馬はいかがだろうか?
それは冗談としても、あらゆる人の教材であれるほどに、競馬が文化的なものであってほしいと、日頃思っている。
競馬ブックも、例えばすずらん賞のページには、すずらんという植物について紹介してくれていたりするが、
こういった雑学的記事はもっと増えてくれてよいように思う。
そうすれば、より趣をもって、競馬をさらに深く楽しむことができると思う。
また、普段の生活の全然関係のないときに、ふと競馬に思いをはせることができたりもする。
以前ハワイを訪れたときに宿泊したホテルが、リリウオカラニ通りに面していたときは、妙に感動したものだ。
競馬ナンデを開設してからというもの、
企画屋さんのような仕事を多くする。
新しいコンテンツ、チャット、オフ会、ブログ。
当たったものもあれば、当然外れたものもある。
そんな企画屋さんにとって、
JRAサマーシリーズは羨ましいくらいの大成功だろう。
今週の両重賞に集った面々を見れば・・・
キーンランドCには、
函館SSから1~4着馬が、
アイビスSDから2、4着馬が、
ついでにUHB杯から1~3着、5~10着馬が揃い。
新潟記念にも、
小倉記念から1,2,5,6着馬が、
七夕賞から2~5着馬が、
函館記念からも3着馬が揃って。
完全にこういう路線が確立された感がある。
みんながサマーシリーズ制覇を目指してきていて、
上位馬も猫の目式にころころと変わり、
最終戦までどれが制するか分からないワクワク感、
目の離せなさ。
大成功の看板を持ったJRAの人が影から出てきてニッコリしそうな状況です。
ただ、たしかに当初の目的を達成はしているが、
その目的自体に若干の疑問は残る。
というのは、
夏競馬が秋以降の競馬と完全に隔絶されてしまいそうだから。
つまり、以前の夏競馬は、夏の上がり馬を探そう的な目で、
やや無理がありつつも秋以降のことを考えつつ見守ることができたが。
この制度はそういう楽しみを若干奪う。
だって、サマーシリーズを本気になって取りに行くから、
このあたりのメンバーは秋以降は惰性でしょう。お休みかもしれない。
秋以降はGⅠに本気な馬たちが完全にとって代わり、
彼らは出る幕もない。
サマーシリーズの頂点である札幌記念、
秋へ向けてちょっと肩慣らししよっかなという馬たちが出てきて、
本気の馬たちを横目にワンツーしてしまったりすると、
ちょっと冷めてしまう?
いやいやもちろんそれでも割り切ってサマーシリーズを楽しむことも可能のはず。
この制度の全てが良くないとは思いません。
夏に小さな山を作ってしまうのか。
夏もGⅠの大きな山へ続く1~4合目あたりと位置づけるのか。
どちらがよいか・・・
やはり多様性を許すのが時代の趨勢で、
色んな馬に色んなところで活躍してもらって花を持たせる、
というほうがウケているのかもしれませんね。
有力古馬牝馬が勢ぞろいした。豪華絢爛である。
というのは皮肉のつもりだ。
有力古馬牝馬なら何でも揃えばいい、
というものなのだろうか?
近代競馬においては馬の競走能力、調教技術においてもスペシャリスト化が進み、
距離適性という要素は、だんだんと重みを増してきているのではないかと思っているのだが。。
今年のヴィクトリアマイルのメンバーを見渡すと、距離適性を無視して、
やや無理矢理に使ってきたと思われる馬が多い。
距離適性ということを考えれば、
レッドアゲート→目黒記念
カワカミプリンセス・セラフィックロンプ・リトルアマポーラ・ムードインディゴ・ブラボーデイジー・ヤマニンメルベイユ・アルコセニョーラ→金鯱賞
というのが自然ではないだろうか。
例えば昨年は、ベッラレイアが挑戦してきて、本来の末脚を発揮できていなかったところは、見るに堪えなかったし。
一昨年はカワカミプリンセスが人気を裏切って大波乱を呼んだ。
これらの一因が距離適性にあるのではないかと私は見ていたのだが、どうだろうか。
ヴィクトリアマイルにこれほど無理やり使ってくるというのは、
距離適性という重要要素を犠牲にしてまでも、
やはり牝馬限定戦というのは使いたい、極めて魅力的な条件なのだろうか。
距離適性を無視するということは、各馬にとって適当と思われる調教方法を変えてしまうことでもあり、
折り合いや戦法や筋肉の質や、あらゆるところに悪影響を与えかねない危険性まで秘めていると思うのだが。。
思うに、
3歳時においては、クラシックという、何にも増して、伝統と名誉と重みを培ったものがあるがゆえ、
距離適性を無視した出走が目立つのは当然だが、
牝馬に関しては、そのような状況が古馬になってまで続いてしまうというのはいかがなものだろうか?
例えば私はスマイルジャックのような馬がクラシックの重石から解放されて、短距離でのびのびと走っている姿を見ると、心からおめでとうと言いたくなってしまうのだが、
牝馬は古馬になっても重石から解放されないようである。
これはつまり、
適性距離の牡馬混合重賞よりも、適性距離でない牝馬限定重賞のほうがまだよい、
という認識によるレース選択が行われているということである。
結局、
牡馬混合重賞ってそんなにいやですか?
という話であり、
1、牝馬というのは男馬と一緒に走ると萎縮してそこまで大きく競走能力を減退するものなのだろうか?
2、牡馬牝馬間には2キロのハンデ差があるが、これは完全に両者の能力差を埋めうるものではなく、なお牝馬にとって不利な斤量なのだろうか?
といった疑問点に帰着するのだが。これらを深く分析するのはまた後日として。
実際に昨今では、ウオッカやダイワスカーレットが昨年の混合GⅠを席捲した。
海外でもザルカヴァやマカイビーディーヴァなどなど多くの牝馬が混合GⅠで大いに活躍しているのが目につく。
また、仮に牡馬相手では全く通用しないという馬なのであれば、そういった馬たちを寄せ集めたGⅠというのはそんなに面白いレースであるとは思えない。
上記の馬がVマイルに出ていなかったとしたら、かなりお粗末なメンバーだが、
それならそれで、そんなGⅠならば要らないのではないか。
もともと同じ週に同じような距離の京王杯SCがあるのであって、
Vマイルを作ることで、完全に馬を取り合う関係となって、牡馬と牝馬で完全に隔離させてしまうのは、
両方のレースの魅力を少しずつ削り合う関係にあるような気がしてならない。
もちろん、Vマイルが金鯱賞や目黒記念といった重賞からも牝馬たちを拝借することで、
それらのレベルを低下させていることも忘れてはならない。
暴論覚悟だが、
これもひとつレース体系に関する問題提起をしてみた。
ここは私が気合いが入る、張り切るレース。こういうレースを当てるために競馬をやっているようなものです。
開幕週の東京2000で18頭。これほど枠と展開と馬場がものを言う条件もありません。
去年はカレイジャスミンで儲けました。その前もブロンコーネで儲けた記憶があります。
とにかくこの条件は上手いこととか言わず、かっこよい予想とかせず、がちんこで当てに行かなければ。
ミクロコスモス→差し馬
マイティースルー→出が悪いので後ろからに自ずからなってしまう可能性が高い
ワイドサファイア→福永が一度行かせたことがあるが基本的に差し馬
ピーズオブラック→追い込み馬
ハシッテホシーノ→2000で行ける脚はない
アイアムネオ→出が悪い
テーオーティアラ→差し馬
ラークキャロル→差し馬
メイショウボナール→差し馬
リュシオル→多分差し、ゲートもやや不安
ボンバルリーナ→出脚つかず
ミミオブパラダイス→差し
ということで有力どころがほとんど差し。
前めからはディアジーナだけ。
これも番手、好位あたりからで、押していくようなタイプではない。
ディアジーナが可愛がってさえくれれば、
前の馬、内の馬がかなり楽をさせてもらえるレースになりそう。
とにかくディアジーナの出方、作戦にだけは常に注意しておきたい。
それだけしさえすれば・・予想が立ちやすいレース、自分としては。
◎エストシャイン、○ピースエンブレム、▲ベイビーローズ
これら行ける馬の中から内枠を引いた馬を狙うのみです。
能力のことは後から考えます。今週は雨もありそうなので、馬場も考えつつの選定。
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