競馬の印は誰が考え出したのか(1)
2009年03月31日 15:32
雨龍泥舟 競馬歴56年 回収率101% |
◎○▲は誰が考え出したのか-通信簿起源説 ちょっとおもしろいものを見つけました(笑)。 http://www.kotono8.com/wiki/%E2%97%8B%E2%96%B3%C3%97%E3%8... 競馬等の予想印 競馬においては、昭和六年(1931年)の競馬新聞が予想印を初めて採用したとされている。この予想印は、大まかには似ているものの、実際には予想紙ごとに独自のマークを採用している状況であり、固定的な表現は存在しない。 主な記号は「◎」「○」「▲」「△」「×」と「無印」である。×は「悪い」ではなく、むしろ無印よりも高い評価となる。このほか、☆・★や「注」、あるいは「二重三角」や「中が黒い二重丸」なども使われることがある。また、「本命・対抗・単穴・連下(複穴)・大穴」に「◎○▲△×」を当てはめる場合があるが、厳密にはその意味合いは一致せず、記号は単に有力度の順を示すことが多い。 • 競馬ダービー:「◎○▲△×無印」。◎は軸馬。○はそれに次ぎ、▲は逆転可能性がある。△×はそれに続く。 • 競馬ニホン:「◎○▲△×無印」 • 競馬ブック:「◎」「○」「▲」「(二重三角)」「△」「無印」の順。 その他の競馬新聞でも、「×」を使わないものが数紙見られる。 この予想印の起源について、ディック・フランシス著『配当 Twice Shy』のハヤカワ・ミステリ文庫版の後書き解説(結城信孝「予想屋稼業は儲かるか?」)で以下のように述べられている。 参考までに◎○×△のルーツを書いてみると、×(バッテンと呼んでいます)をのぞいた印はすべて、大正時代の小学校の通信簿からというからおもしろい。 ◎(本命)――たいへん良い ○(対抗)――良い △(連穴)――もう少し という評価が当時の通信簿につけられていたそうで、それが実際に競馬予想の印として使用されたのが、馬券発売が復活した大正の終わりらしい。 前述した◎○△の説明のなかで、×印だけは大正時代の通信簿には使用されていなかったが、さしずめD・フランシス作品では、『配当』に×(単穴)の印をつけてみましょうか。 これは通信簿の評価とは無関係で、ルーツはアルファベットのX(エックス)。転じて、未知数の魅力を持った謎の馬というのが起源だそうで、『配当』にピッタリだと思いませんか。 馬券発売が復活した大正十三年(1924年)に「中島高級競馬號」が発刊されており、結城氏はここで予想印が使われたと考えているようである。しかし、ここに述べられている「大正時代の終わり」説は誤りである。 河出書房新社『競馬新聞の楽しい読み方―予想オッズは誰がどう算出しているか? (KAWADE夢文庫)』にはこのように書かれている。 ◎○▲△は誰が考え出したのか? 競馬新聞では、◎○▲などの印が使われる。それぞれ、本命、対抗、単穴を表し、競馬ファンにはおなじみのものだが、この便利な印、いつ誰が考えたかは、よくわかっていない。 「本命」「対抗」「単式の穴」という言葉は、すでに、大正一五年ごろには使われている。都新聞や読売新聞、国民新聞、時事新報、東京日日新聞、中外商業新報といった関東の五大新聞の記事に見られるのである。 しかし、当時の競馬は、出走馬の発表が、レース当日。競馬雑誌などの専門誌は、添付した勝馬予想引換券と交換で、予想を提供していたが、そこでも、本命、対抗などの言葉を使っていた。 本命などの言葉に代わり、◎○▲△の印が使われるようになったのは、昭和六年のことだったという。出走馬が、開催前夜に発表されるようになってからである。 当時の競馬専門誌でも、「出馬表」をガリ版印刷して即売するようになったが、その紙面の馬番号の隣に、◎○▲△の印をつけるようになったのである。 各社によって記号の意味は違っていたが、どこも小学校の採点方法をマネたといわれている。当時の小学校の成績は、甲が◎、乙が○、丙が△で表されていた。印についての説明もなく、いきなりはじまったのも、読者に、その意味がわかっていたからだろう。 今も重宝される印のルーツは、昭和六年の競馬雑誌にある。 |
1: | 2009年09月26日 17:54 |
知らなかったです! |
競馬ナンデ公式ツイキャス
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