競馬を見て、自分の人生と重ねる。
競馬を見て、自分の人生を考える。
競馬を見て、自分の人生を見返る。
自分の競馬人生の始まりは、ナリタトップロードだった。
毎年8000頭以上が生まれるこの競馬界において、その1頭1頭にそれぞれドラマがあるのだから、競馬を自分の人生に置き換えることは簡単なのかもしれない。凄い強い馬を自分に置き換えるもよし、なかなか勝てない馬を自分に置き換えるもよし。自分の楽しみ方が出来るのが競馬の良さであり、その楽しみ方は自分以外にはなかなか理解されないところがあるのではないだろうか。
自分も同じく他人に理解されないような競馬の楽しみ方を以前していた。とにかくナリタトップロードが大好きだった自分は、ナリタトップロードのグッズをひたすら買いまくった。当時中学生だっただけに、なかなか高い物は買えなかったので、なんと誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントにトップロードのでっかいぬいぐるみやポスター、DVDなどを買ってもらった。大切な誕生日をトップロードに捧げるぐらい、とにかく入れ込んでいた。親は半ば呆れた感じで自分を見ていたが、そんなことはおかまいなし。それぐらいトップロードが大好きだったのだ。
そんなトップロードも引退。長い間一線級で活躍し、トップロードの活躍に一喜一憂していた生活も一旦終わりを告げ、安心と寂しさが交錯していた。それでも種牡馬としての活躍を期待していたし、いずれは一口馬主になってトップロードの仔を持ってみたいと思っていたし、いつかは北海道にトップロードに会いに行こうと考えていた。
しかし、その夢は叶わなかった。
9歳という早すぎる死だった。
競馬は「ギャンブル」という括りには収まらない。競馬は人を感動させることができる。自分はトップロードが勝った菊花賞で生まれて初めて感動の涙を流した。競馬って本当にすばらしい「スポーツ」だと思う。常に頑張り屋さんのトップロード。そして常にファンに愛されていたトップロード。自分もトップロードのように頑張り屋さんで誰からも愛されるような人間になりたい。
競馬は血のロマンである。好きだった馬が親馬になり、その血が脈々と受け継がれていく…。「この馬の親はなぁ…」と若い競馬ファンに偉そうに語るのが案外夢だったりする。そうやって競馬って人間の間でも脈々と受け継がれていくんだろうな。
しかし、トップロードの血が残る可能性はごく僅か。残された子供たちは少ない。だからこそその少ない子供たちに頑張って欲しい。
今週のエリザベス女王杯、父・ナリタトップロードのベッラレイアが出走する。舞台はトップロードが菊花賞を制した京都競馬場。栗毛が美しかったトップロードと、イタリア語で「美しい」の意を持つベッラレイア。ベッラレイアの美しい走りを期待したい。そしてその美しい走りに父・ナリタトップロードを投影させてみたいと思う。
頑張れ、ベッラレイア。
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そんな理由でベッラレイアに入れ込むのも全然ありなんですよね。自分も同じようにスルタンを応援していますから。
残り少ない産駒という点も似てますね。あとナリタトップロードはオペラオーという馬に最強の座を阻まれ、マックも顕彰馬ながらトウカイテイオーらに年度代表馬の座を持っていかれてます。
お互いに予想以外にもこういった観点でも、これから競馬を楽しんでいきたいですね。
この前書いたナリタトルネードも栗毛だよ ヽ( ´∀`)ノ
逃げ馬やけど (*´艸`)
>つぅさん
そうなんですよね、競馬ってそういう面でも面白いと思うんです。まさに血のロマンですよね。
脈々と受け継がれるこのロマンを見届けていきたいですね。
>回サマ
逃げ馬…でもそれでも構わない。トップロード産駒は無条件で応援('◇')ゞ